ちゃむの「読書の履歴書」-前編-

折角、この間書斎の整理・整頓をしたのに、また机の上は乱雑になってしまう。床の上、棚の上など、ちょっとスペースがあるだけでも本を置いてしまう。妻からは、「きれいにしてね」とか「いつ処分するんですか?」と度々お小言を言われる。
私にとって、本を読むことはどういうことなのか、考えてみることにした。


本との出会いは、幼い時に遡る。私の家では、親が私が生まれたときに、世界児童児童文学百科全○○巻というものを買ったようだ。記憶にあるのは、確かあずき色といぶし銀の2色でデザインされたブックケースに入った本が7〜8巻あった。
特に興味あるものではなかったが、幼稚園の頃、その中の「西遊記」と「ギリシャ神話」については、何回か読み始めては、中途で放り出すことを何回か繰り返していたのを覚えている。グリム童話アンデルセン童話なども入っていたとは思うが、見向きもしなかったようだ。


小学生になって、低学年のときの読書に関する記憶はない。もっぱら学校から帰ってくると、ランドセルを玄関先に放り出して、自転車に乗り近くの原っぱに野球をしにいっていたものだ。まだ、昭和40年代には新宿の中にも子供が遊べるような、そんなスペースがあったのだ。
高学年になっても、草野球は続いていたが、ちくま少年図書館のシリーズを書店より毎月配達してもらうようにして読み始めた。松田道雄さんの「恋愛なんかやめておけ」や斎藤喜博さんの「君の可能性 なぜ学校に行くのか」などは、今でも記憶に残っている。とはいっても、このシリーズを全部読むことはできなかった。隣家からの貰い火で、我が家が火事でなくなってしまったからである。


この火事にあったことで、住まいが新宿から田無になった。中学も越境入学したので、通学に電車を使う生活となった。この電車通学の時間を得たことと、野球部の友人達が本好きが多かったことより、このときにかなり本を読むようになった。
当時、我々の間で人気のあった作家は、北杜夫(どくとるマンボウ)、遠藤周作(狐狸庵)、畑正徳(ムツゴロウ)などで、文庫、新書読みまくった。その後、SFも興味を持ち、星新一筒井康隆小松左京等々を好んで読んでいた。この流れは大学に入るまで変っていなかったと思う。


このブログ、「本を読むということ」と題名をつけて書き始めたが、ここまで来て自分の読書歴を書いているので『ちゃむの「読書の履歴書」』と題名を変えます。本日は前編とし、後編は後日お楽しみにしてください。