たま工業交流展の基調講演会

本日は、たま工業交流展へ行ってきました。


基調講演で、日本電鍍工業株式会社の代表取締役の伊藤麻美さんのお話を聞いてきました。この会社は、1958年創業で、従業員68人で埼玉県の大宮駅の近くにあるそうです。ニホンデントコウギョウと読むそうです。事業内容はめっきです。


演題に立った人は外資系企業で働いていそうなきれいな女性、名前も麻美と書いて「まみ」さんとのこと。


演題で「企業再生と継続の新法則」という副題がついていたので、中小企業事業所の建て直しの話しとは思っていたのですが、聞き始めると、会社の話というより、ドラマの脚本かと思わせるような話で、この女性社長の奮戦記という感じでした。


ラジオのDJの経歴もあり、話は非常に上手でした。
ぐいぐい引き込まれていくのと、聞いていていると結構グッとくる話があり、頬に涙がスーッと落ちるようなこともありました。
かなり私も涙腺が弱くなっているようです。


弱冠27歳の時にお父様が創業された会社が日本電鍍工業だそうです。電気めっきの技術で、日本の時計メーカーとのつき合いで業績を伸ばし、埼玉県内では納税トップ5以内で、従業員も200名近くおり、そのうち技術者が40〜50名を抱える企業だったそうです。
金メッキで使用する金の量が世界一で、ギネスブックに載せないかという話もあったそうです。


彼女は、そんな創業家の一人娘で、20歳でお母様を亡くし、23歳で創業者であるお父様をガンで亡くしたそうです。


会社は、従業員の方が経営者になり継続していたそうですが、その間、DJから宝石の世界に入るべくアメリカ留学をしていた矢先に、引っ越しして欲しいから帰国してくださいということで、30歳の時に亡き父の会社が倒産の危機にあることを知ります。


父の後を受けた経営者は、放漫経営を続けており、売上は下がり続け、資産を売り続けながら会社を継続していましたそうです。


帰国後、会社をどうしていくかという話を連日聞いていくうちに、従業員とその後ろの家族の姿が見えるようになってきたそうです。そして、なんとかこの人たちを窮地に追い込んではいけない、救わないととという思いから、いろんな経営者にお願いするも、全て断られたそうです。


そんな時、弁護士の方にお金がない中でどうしたら良いかの話を聞いていた時、いざとなった時には、自己破産の方法もあるということを教えられ、命まではとられないと開き直り、自ら社長に就任することを決意したそうです。


銀行には見放され、借金も返せない地獄の日々が続くなか、ホームページの立ち上げを女性従業員の方と定時後に行い、半年後に立ち上げると、新たな業界からの他の業者では出来なかったチャレンジングな話があり、それをモノにしていきます。


就任3年後に黒字になるも、運転資金を回すのが苦しく資金繰りに奔走する日々。資金を捻出するために、社会保険料法人税等の支払いのストップもお願いしたそうです。


そんな苦しい日が続くある日、経営者に集まるパーティー出席した時に、ある銀行のお偉方より声をかけられ、それをきっかけに融資が受けられるようになったそうです。


社員の平均年齢は59歳。賞与も出せない状態。社長就任9年目で初めて賞与を出したそうです。
それ以前に、そんな従業員に、なんとかしてあげたいということで業績が黒化した年末にお年玉袋に1万円札を入れて、一人一人に手渡したそうです。そのとき、従業員の方は、「もっと会社のことに使って下さい」といって受取らず、なんとか受取ってもらったという話もありました。


彼女の話を聞いていると非常にアグレッシブでパワーがあり、ポジティブシンキングです。
それに強烈な意志がある。まさしく経営者だなと感じられる人です。
話を聞いていて、彼女の放った言葉で心に焼きついたものがあります。それは、「ネガティブな体験って、どれだけ人をポジティブにするんだろう」という言葉です。


また、発想が柔軟です。将来的な展望を質問されていた時に、めっきという枠にとらわれないで考えていきたいとも語られていました。


久々に感動する話を聞きました。会社に対する熱い想いと強烈な意志。これからも強く会社を引っ張られていくことだろうと思います。


日本電鍍工業のHPのURLを掲載しておきます。ご興味のある方はご覧ください。

http://www.nihondento.com/


こういう話を聞くと、日本の中小製造業頑張れと思うのと同時に、中小企業診断士として、各事業所への支援を通して、やはり中小企業の経営基盤を強くしていきたいとの念にかられました。