カネ遣いという教養

これから、本を山積みにしようとしている書斎の中の広い机を前にして、椅子にもたれながら綴る読書本の紹介です。


今回紹介する本は、藤原敬之著、「カネ遣いという教養」です。


まあ、この著者いろいろなものにお金を投じてきたのだなということがわかりました。


しかし、本当のお金持ちではないようです。


それは、「カネ持ちほどカネを惜しむ」と最後に一章設けているからです。


カネ遣いという教養 (新潮新書)

カネ遣いという教養 (新潮新書)


まず、第一章では自分の生い立ちから現在に至るまでの軌跡を大まかに書いています。


まあ、小さい時からお金には恵まれた家に生まれ、それなりにお金を使ったこと、二度の離婚を経ていることなどが書かれています。


実際、どのようなものにお金を使ったのか、それはなぜか、金を使うことでどうなったか、あるいは考えたかが第二章、第三章に綴られています。


この中で本に対してお金を遣うことに対しては納得。


時代を超えて、様々な人と接することができるというのは、私も思っていることです。


その他は、よくそんなに遣えるねという感じでしょうか。


お金を遣うことで、そのものに対しての造詣が深くなるとか、知識が増えるということが教養と言っているのでしょうか。


確かに教養になる部分もあるかもしれませんが、そうでない場合もあり得ると、自分では思いました。