ものづくりにおいて、過ぎれた技術や先進の技術、そして枯れた技術も含めて、ふと考えてみたことがある。
よく、テレビなどで、どこそこはそのまま真似ている、パクっているなどと取り上げられることがある。
真似ているのは、似せようとしているのだろう。
でも、似ていても、ただ同じようなものを組み合わせただけだとオリジナルのものとは同じようなものはできない。
何故なのか、考えたことがありますか?
それは、本質を理解していないからだと思います。
なぜ、この材料を使っているのか、もしかしたらその材料は熱処理とかしているかもしれないし、そこに特徴があるかもしれない。
なぜ、こんな形の部品等々、いろいろなことを突き詰めていかなくてはならない。
それは、設計そのもの。
だから、考え方、本質を押さえていなければ、いくら同じようなものでも、それは同じではない。
一方、技術移転というか、教えを乞うことにより、技術を習得していくことがある。
明治維新の西洋からの技術移転などは、まさにこれにあたるのではないだろうか。
これは、先生がいるので、本質を聞くことができる。
それを理解すれば、あとは自分たちの創意工夫だろう。
戦後、made in Japanは粗悪品の代名詞になっていたということであるが、それは単なるパクリが多かったからではないだろうか。
それから、本質を掴むことで、技術レベルも生産性も向上させていった。
どうせなら、教えを乞うてもらう側に回った方がいいが、これも歴史を見ると乞うた側が追いつき、追い越すことを繰り返しているように思われる。
ここから見えてくる大事なことは、現状に胡坐をかいて慢心しているのではなく、常に前進、改革、改善を進めていく姿勢ではないだろうか。
そうすれば、まだまだ日本のもおづくりは発展していくだろう・・と、ふと考えてみました。